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​曲目紹介

序曲「ヘリオス」 Op.17 / C.ニールセン

 カール・ニールセン(1865-1931)は、デンマーク出身の最も有名な作曲家の一人であり、彼の作品は20世紀の音楽に革命的な影響を与えた。また、シベリウスと同級生であったことも知られている。

 ニールセンの作品の中でも、序曲「ヘリオス」Op.17は、太陽の動きを音楽で表現した壮大な作品だ。「ヘリオス」は、1903年にデンマークの首都コペンハーゲンにて初演された。この曲は、ニールセンがギリシャのアテネに滞在していたときにインスパイアされたもので、ギリシャ神話における太陽神ヘリオスの一日を音楽的に描写している。
 序曲は、太陽が地平線から昇る静寂な朝の光景から始まる。次第に音楽は明るく、力強くなり、太陽が真昼の空に輝く様子を華やかに表現する。その後夕暮れに向かって、太陽の光が次第に落ちていく様子を感じさせる静かで穏やかな部分へと移行する。

 この作品は、オーケストレーションの豊かさや、ニールセン独自の旋律やリズムの感覚を通して、太陽の動きとそれに伴う自然の変化を巧みに捉えている。時には情熱的、時には穏やかで聴く者を太陽の動きに合わせた壮大な旅へと誘うだろう。
 

交響曲第7番 ハ長調 Op.105 / J.シベリウス

 本作は1910年代後半から1924年3月にかけて作曲され、1924年作曲者自身の指揮、ストックホルムにて初演された。実は、この交響曲は当初は「交響的幻想曲I」というタイトルで発表されていた。これは、作曲時から3楽章→4楽章→単一楽章と構成を変えていたことに起因する。単一楽章で完成された本作は、伝統的な交響曲の幅を逸脱しているため、当初は交響曲としてナンバリングを行わなかったと考えられている。しかし、実際の曲の内容は緩徐楽章、スケルツォ、ロンド、フィナーレといった交響曲の要素を含むものであり、各部分の楽想が密接に関連している。シベリウスは初演後の1925年に出版社に交響曲第7番として楽譜を出版することを決定した。本作品をおおよそ4つの場面に分けて解説を行う。

 I. Adagio —ティンパニから始まり、弦楽の上昇音型に導かれるように幕を開ける。フルートから始まる瞑想的な旋律と木管楽器による鳥の鳴き声を思わせる旋律が印象的である。弦楽器のコラールから始まる祈りの響きが頂点に達すると、ハ長調の晴れやかさの中で「トロンボーンの主題」が提示される。

 

 II. Vivacissimo-Adagio —「トロンボーンの主題」が終わるとにわかに不安げな曲想に一変し、木管楽器と弦楽器を中心にオーケストラの中で掛け合いが続けられる。掛け合いが一つに集約されると、弦楽器のうねりと共に、悲観的な雰囲気で「トロンボーンの主題」の断片が現れ、金管楽器を中心にこの部分の頂点を形成する。

 III. Allegro molto moderato —悲劇的な場面を抜けると、軽やかなロンドが展開される。木管楽器と弦楽器を中心に奏でられる牧歌的な旋律は、北国の自然の息吹を想起させる。「深遠な」「内省的な」といった形容詞で紹介されることの多い本作品だが、この部分はそれとは真逆である。この部分を通じて奏でられる弦楽器の八分音符の刻みが、軽やかさや活発な印象を与えている。

 IV. Vivace – Presto – Adagio —曲が突然テンポを上げると第2部の再現が行われる。再び弦楽器のうねりに導かれた「トロンボーンの主題」が晴れやかに奏でられる。金管楽器を中心とした和音の強奏のあと、弦楽器、ホルン、木管楽器によってこの曲の各部分の回想が行われ、決然と、しかしどこか愁いを帯びた雰囲気で曲が閉じられる。

 この交響曲は作者の信仰に支えられた内面の心の動きを反映しているように聴こえると同時に、広々とした北国の風景も想起させられる。それだけこの交響曲の持つ表現の幅が広いことの証左であり、その表現の広さを楽しんでいただければ幸いである。
 

交響曲第2番 ニ長調 Op.43 / J.シベリウス

 全7曲の交響曲の中で、現代においても最も多く演奏されているであろう『交響曲第2番』はフィンランドを代表するシベリウスとしては意外にも、イタリア旅行の最中に得た着想を基に作曲された。『交響曲第1番』の完成からパリ万博での演奏会の成功を通して、作曲家として国際的な地位を確立しつつあったシベリウスは、カルペラン伯爵という無二のパトロンと出会い多額の資金援助を得ることになる。1901年1月末、伯爵からの薦めでイタリアに向けて出発したシベリウスは、訪れた各地の建築物や風景に感銘を受け、ヴェルディのオペラ『リゴレット』を観劇し讃賞するなど、充実した時間を過ごした。イタリアの(冬とはいえど)温暖な気候と明媚な光景は、作曲においても新たなインスピレーションを与えたことだろう。というのも、前作『第1番』と比較すると曲全体を通して明朗で伸びやかな雰囲気で包まれており、「光から闇」・「苦悩から解放」といった、古くから聴衆に受け入れられてきた曲想の変化が明確に描かれているのである。
 シベリウスといえば、交響詩『フィンランディア』に代表される国民楽派的な一面が想起されるであろう。この『交響曲第2番』も、作曲された当時のフィンランドの社会情勢を踏まえると、ナショナリズムとの繋がりは否定できない。しかし、シベリウス本人の立場は、交響曲とは純粋に絶対音楽であり、標題音楽として解釈されることを嫌っていたというものだった。7つの交響曲全てに標題がついていないのもそのためであると考えられる。国威発揚としての意味合いを持つ標題的な交響詩とは異なり、当時の時代背景というフィルターを一切通す必要なく、聴く者の心情に普遍的かつ抽象的な何かを訴えかけてくるような魅力を感じさせるのである。『交響曲第2番』が時代問わず愛されているのは、そのようなところにあるに違いない。

 

 第1楽章は弦楽器の穏やかな楽想に導かれ、木管楽器が軽やかで田園的な、次に弦楽器が朗々とした主要主題を奏する。弦楽器のピッツィカートに続いて副次主題が表れる。これはシベリウスらしく息の長いフレーズである。一度落ち着いた後、オーボエが再び息の長い副次主題を奏するが、ここから曲想は曇りはじめて各セクションが主題の要素を絡ませながら歌い継いでいく。クラリネットのソロの後は弦楽器を主体に盛り上がりを作っていき、息の長いフレーズで頂点を迎える。金管による輝かしい咆哮の後、主要主題と副次主題を非常にコンパクトに再現し、ここでもやはり息の長いフレーズで全楽器によるクライマックスを迎える。最後は弦楽器による冒頭の穏やかな楽想が回帰し、静かに幕を閉じる。
 第2楽章はいわゆる緩徐楽章。低弦による長いピッツィカートの後、ファゴットが厳かに主要主題を奏する。厳かな雰囲気を保ちながら次第に激しさを増していき、金管による咆哮によって締めくくられる。一転、穏やかな楽想に変わり、弦楽器を主体に雄大に歌われていった後、今度はトランペットとフルートの寂寥感漂うソロに導かれ、再び激しさを増していき、再度締めくくるのは金管の咆哮。そして訪れる穏やかな楽想は、今回は全楽器を加えて一層雄大さを増す。転じて、悲痛さを湛えたまま最後を迎える。
 スケルツォに当たる第3楽章は、大まかに急-緩-急-緩の構成からなる。「急」の部分では早いパッセージと息の長いフレーズが交互に訪れ、駆け抜けていくような印象である。「緩」の部分ではオーボエと続いて弦楽器が朗々と歌う。再び「急」に変わり、続く「緩」は第4楽章への橋渡しのように徐々に盛り上がっていく。
 切れ目なく演奏される第4楽章は弦楽器の壮大なフレーズとトランペットのファンファーレが印象的である。壮大さを増した後は木管楽器によるモノローグが続く。金管群のファンファーレによって締められると、低弦によって冒頭の主題、ファゴットによって先ほどのファンファーレを再現し、冒頭の主題を歌い継いでいきながら盛り上がりを作っていく。壮大な冒頭主題が回帰し、再び全楽器で頂点を形成する。管楽器によるモノローグの後、ホルンに導かれ弦楽器が物悲しいフレーズを奏する。トランペットやトロンボーンを加えながら、ファンファーレで締めくくる。低弦による重厚な冒頭主題でコーダに突入し、全奏の輝かしい咆哮で大団円となる。

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